たこ焼きの発祥は大阪?起源・由来とラヂオ焼きの歴史を解説
こんにちは、ニッポンハーモニーのヤスです。
大阪名物と聞いて、真っ先にたこ焼きを思い浮かべる人は多いと思います。けれど、あの丸い食べ物が最初からタコ入りで、ソースたっぷりだったかというと、実は違うんです。名前に「ラジオ」が付く食べ物や、兵庫県明石市の玉子焼まで登場するのだから、なかなか面白い歴史ですよ。
現在のたこ焼きは、1935年に大阪で生まれたとされる料理です。ただし、1935年に何もないところから突然発明されたわけではありません。小麦粉を焼く昔のおやつが少しずつ姿を変え、その途中で具材がタコになりました。
この記事では、たこ焼きの発祥地と元祖の店、ラヂオ焼きという不思議な名前の由来、明石焼との関係、そしてソース味が定番になるまでの流れをたどります。いつもの一皿が、ちょっと違って見えるはずです。
- たこ焼きが大阪で生まれた年代と発祥の背景
- ちょぼ焼きやラヂオ焼きから続く歴史
- 元祖会津屋と明石焼が果たした役割
- ソースなしから現在の味へ変わった理由
たこ焼きの発祥地は大阪
「たこ焼きはどこ発祥?」という疑問への答えは、大阪です。ただし、発祥地と、今も営業している元祖の店の所在地は分けて考えたいところ。まずは年代と場所を確かめていきましょう。
現在のたこ焼きは1935年に誕生
タコを入れた丸いたこ焼きが商品として登場した代表的な年は、1935年(昭和10年)です。大阪の会津屋を創業した遠藤留吉が、それまで作っていたラヂオ焼きにタコを使い、「たこ焼き」として売り始めたと伝えられています。
この流れは、会津屋自身が公開する沿革と、日本の粉もの文化を扱う資料で確認できるもの。農林水産省も、大阪の屋台でラジオ焼きの具にタコを用いた料理が売られ始めた経緯を紹介しています。(出典:農林水産省「うちの郷土料理・たこ焼き」)
とはいえ、1935年という数字は、今のたこ焼きにつながる重要な節目を指します。小麦粉の生地を型で焼く食べ方や、丸い焼き菓子そのものが、その年に初めて生まれたという意味ではありません。料理の発祥を考えるときは、何をもって「たこ焼きの誕生」とするのかが大切なんです。
最初の舞台は大阪の屋台
遠藤留吉がラヂオ焼きの屋台を始めた場所について、会津屋の公式沿革には大阪の今里と記されています。1933年(昭和8年)に屋台を始め、その後1935年にたこ焼きを開発したという順番です。つまり、大阪市内の屋台から育った料理と考えると、誕生までの様子がつかみやすいでしょう。
今里は現在の大阪市東部にある地域。一方、元祖として知られる会津屋の現在の本店は大阪市西成区の玉出にあります。「玉出の会津屋が元祖」と聞いたからといって、たこ焼きが玉出の現在地で初めて焼かれた、と受け取るのは少し違います。
元祖と呼ばれる会津屋の役割
大阪には数え切れないほどのたこ焼き店がありますが、発祥を語るときに必ず名前が挙がるのが会津屋です。創業者の遠藤留吉が、ラヂオ焼きをタコ入りの料理へ発展させた人物として知られています。会津屋が「元祖たこ焼き」を掲げる理由もここにあります。
会津屋は公式サイトで、1933年にラヂオ焼きを始め、1935年にたこ焼きを開発したと説明しています。現在でも、生地に味を付け、ソースをかけずに食べる形を大事にしているのが特徴です。
ただし、「元祖」とは、昔の粉もの料理すべてを会津屋が発明したという意味ではありません。たこ焼き以前にも似た料理がありました。その土台の上に、具材をタコにする工夫を加えた点こそ、会津屋の歴史的な位置づけだと私は思います。
発祥のポイント:現在のたこ焼きにつながるタコ入りの料理は、1935年の大阪で成立したとされます。1933年のラヂオ焼き、さらに古いちょぼ焼きまでたどると、その意味がよりはっきりします。
ルーツはちょぼ焼きとラヂオ焼き
たこ焼きの起源を知るには、タコが入る前の料理を外せません。主な流れは「ちょぼ焼き」から「ラヂオ焼き」、そして「たこ焼き」へ。どこが受け継がれ、何が新しくなったのかを見てみましょう。
ちょぼ焼きは昔の粉ものおやつ
ちょぼ焼きは、明治末から大正期にかけて、西日本の駄菓子屋や縁日などで親しまれたとされる粉ものです。水で溶いた小麦粉の生地を、くぼみのある焼き型などで焼く食べ物で、こんにゃく、干しエビ、たくあんを入れた例が伝わっています。
ここで注目したいのは、当時の主役が必ずしもタコではなかったこと。身近な具材を使って小腹を満たす、おやつのような存在だったんですね。生地にしょうゆなどで味を付ける例もあり、完成後に濃いソースをかける現代の姿とは違っていました。
また、ちょぼ焼きと現在のたこ焼きは、形までまったく同じだったわけではありません。型焼きの工夫や粉を使う発想が後の料理へつながった、と理解するのが自然です。「最古のたこ焼き」と一言で置き換えるより、たこ焼き以前の土台になった料理と考えたいところです。
ラヂオ焼きは牛肉とこんにゃく
たこ焼きにより近い前身が、ラヂオ焼きです。「ラジオ焼き」と書かれることもありますが、老舗の会津屋では「ラヂオ焼」という表記を使っています。丸く焼くという見た目は今のたこ焼きに近く、主な違いは中に入れる具材でした。
会津屋が説明する昔のラヂオ焼きには、肉やこんにゃくなどが使われています。現在復刻されているラヂオ焼きでも、牛肉とこんにゃくが特徴です。タコの歯応えではなく、肉のうまみやこんにゃくの食感を楽しむ粉ものだったわけですね。
生地と具を小さく丸めて焼く工夫が先にあり、そこへ後からタコが加わった。「丸いからたこ焼き」ではなく、「丸く焼く料理にタコが入ってたこ焼きになった」と考えると、発展の順序がわかります。こんにゃくとの関係が気になる方は、たこ焼きとこんにゃくの歴史や具材の話もあわせて読んでみてください。
ラヂオ焼きの名前の由来
ラヂオ焼きの「ラヂオ」は、放送を聞くあのラジオに由来するとされています。日本でラジオ放送が始まったのは1925年(大正14年)。当時のラジオは新しく、時代の先端を感じさせる存在でした。
新しい技術が大きな話題になると、その名前が商品や流行語にも使われます。ラヂオ焼きも、そんな時代の空気をまとった名前だったと考えられています。今なら人気の新技術の名前が商品名に付く感覚に少し近いでしょう。
ただし、ラジオの部品を使って焼いたとか、ラジオ放送局で発明されたという意味ではありません。料理名に当時の流行を取り入れたというのが要点です。また、ラヂオ焼きが登場した正確な日付や、誰が最初にその呼び名を付けたかまで断定するのは難しいため、名前の由来と発明者の話は分けて考える方がよさそうです。
具をタコに変えた発想が転機
ラヂオ焼きからたこ焼きへ変わる大きなきっかけは、具材でした。会津屋に伝わる話では、明石ではタコを入れて食べるという客の言葉が、遠藤留吉の工夫につながったといわれています。明石はタコの産地としても知られ、すでにタコを使った玉子焼が親しまれていた土地です。
牛肉やこんにゃくの代わりにタコを使うと、ひと口かじったときの食感が大きく変わります。柔らかな生地と弾力のあるタコの取り合わせは、今の私たちにもおなじみですね。材料の変更は小さく見えても、料理の個性を決める重要な変化でした。
もちろん、客との会話の細かな言い回しまで当時の録音が残っているわけではありません。伝承として知られるエピソードと、1935年にたこ焼きを開発したという会津屋の沿革を合わせて捉えることが大切です。発祥話を面白がりながらも、言い伝えを確定した史実として扱わない。そこは意識したいですね。
たこ焼きの名前と語源をたどる
「たこ焼き」の語源は、意外なほど素直です。とはいえ、名前が変わった時期を追うと、料理そのものがどう変わったかも見えてきます。
たこ焼きは具材から生まれた名前
たこ焼きという名前は、基本的にタコを入れて焼く料理という特徴を表したものです。ラヂオ焼きの生地にタコを入れたものを、会津屋が「たこ焼き」と呼んで売り出したと伝えられています。聞いただけで具材が分かる、覚えやすい名前ですよね。
ここで誤解しやすいのが「焼き」という言葉。焼きダコそのものを意味するのではなく、小麦粉の生地と具を型で焼く料理の名前です。昔から日本には、たい焼きや今川焼きのように、形や材料などを手がかりに名付けられた焼き物があります。
ラジオ焼きとラヂオ焼きの違い
「ラジオ焼き」と「ラヂオ焼き」は、別々の料理を指すとは限りません。歴史的な表記では「ラヂオ」が使われ、現代の文章では読みやすい「ラジオ」に置き換えられることがあります。会津屋が古い呼び名を残しているのは、店の歴史を伝える意味もあるのでしょう。
さらに「ラジューム焼き」という別名が伝えられることもあります。いずれも、当時の人が新しく感じた言葉と結びついています。ただし、同じ時期のすべての屋台が同じ材料、同じ配合、同じ名前だったとは言い切れません。
名前の変化は味の変化でもある
ちょぼ焼き、ラヂオ焼き、たこ焼き。名前だけを並べると、まったく別の食べ物が次々に発明されたようにも見えます。実際には、小麦粉の生地を焼き、手軽なおやつとして食べるという共通した流れの中で、それぞれの特徴が生まれました。
ちょぼ焼きでは焼き型と身近な具材、ラヂオ焼きでは丸い形と肉・こんにゃく、たこ焼きではタコという主役。こうして見ると、受け継がれたものと新しく加わったものがはっきりします。
そして、タコが入ったからといって、すぐに現在のソース味になったわけではありません。名前が「たこ焼き」になった後も、味付けや食べ方は変化し続けました。誕生した年と、今の定番の食べ方が完成した時期は別。ここが歴史を読むうえで面白い部分です。
明石焼はたこ焼きの祖先なのか
大阪のたこ焼きのルーツを追うと、兵庫県明石市の明石焼に行き着きます。見た目は似ていますが、同じ料理ではありません。どの部分がつながり、何が違うのかを見ていきます。
明石焼は地元で玉子焼と呼ぶ
明石焼は、兵庫県明石市で古くから親しまれてきた郷土料理です。地元では「玉子焼」と呼ばれ、全国的には「明石焼」という名前でも知られています。小麦粉や卵、じん粉と呼ばれるでん粉などを使った生地に、タコを入れて焼くのが特徴です。
明石市は、装飾品の「明石玉」を作るときに使った卵白の残りから玉子焼が生まれた、という説を紹介しています。さらに、1919年ごろに屋台で玉子焼を商売として売り始めたという話も伝わっています。たこ焼きが誕生したとされる1935年より前に、明石でタコ入りの粉ものが食べられていたわけですね。
ただし、明石焼の最初の一皿がいつ、誰によって作られたのかには諸説あります。「明石焼は間違いなく何年に生まれた」と決めつけるよりも、大阪のたこ焼きに先立つ近縁の食文化が明石にあった、と理解する方が無理がありません。
たこ焼きと明石焼は何が違う
どちらも丸い型で焼き、中にタコを入れるため、初めて見ると似た料理に思えるでしょう。しかし、食べると印象はかなり違います。明石焼は卵を多く使い、柔らかくふんわりとした食感で、だし汁につけて食べるのが基本的なスタイルです。
| 比べる点 | 大阪のたこ焼き | 明石焼(玉子焼) |
|---|---|---|
| 生地 | 小麦粉、だし、卵など | 卵が多めで、じん粉も使用 |
| 主な具 | タコ。店により薬味も使う | タコが中心 |
| 食感 | 表面を焼き固め、中は柔らかい | 全体にふんわり柔らかい |
| 食べ方 | ソース系が一般的。素焼き風もある | だし汁につける |
| 主な土地 | 大阪 | 兵庫県明石市 |
この比較で気を付けたいのは、たこ焼きにもソースなしの店があること。つまり「ソースを付けたらたこ焼き、付けなければ明石焼」という単純な区別はできません。生地の配合、食感、地域の伝統まで含めて見ると違いがよく分かります。
明石のタコがヒントになった説
会津屋のたこ焼き誕生話には、明石のタコが登場します。明石ではタコを入れるという話を耳にした遠藤留吉が、ラヂオ焼きの具材に取り入れたというものです。大阪の丸い粉ものと、明石のタコ入り玉子焼。この二つの流れがつながったと考えると、納得しやすいでしょう。
ただし、だからといって「明石焼がそのまま大阪へ移動し、たこ焼きと改名された」と考えるのは正確ではありません。明石焼の生地は卵が多く、だしにつけて食べる別の料理です。大阪ではすでにラヂオ焼きという前身が存在していました。
明石焼をタコを入れる着想に影響した近縁料理と見ると、二つの土地の役割が混ざりません。たこ焼きの発祥地は大阪、けれどルーツの一部には明石の食文化もある。どちらか一方だけを取り上げるより、その関係を知る方が面白いと思います。
◆ヤスのワンポイントアドバイス
発祥とルーツは似ているようで、少し違う言葉です。「今につながるタコ入りのたこ焼きが生まれた場所」は大阪。「その発想に関係した近縁の料理」を探すと明石焼も登場します。この違いを押さえると、歴史の話がずっと分かりやすくなりますよ。
元祖はソースをかけなかった
たこ焼きといえば、茶色いソースに青のり、削り節、マヨネーズという姿を想像しがちです。ところが、元祖とされる会津屋の味は違います。ここからは味付けの歴史です。
はじめは生地そのものに味付け
会津屋のたこ焼きは、だしやしょうゆのうまみを生地で楽しみ、基本的にソースをかけずに食べるスタイルです。これは単なる変わり種ではありません。たこ焼きが生まれたころの食べ方を伝える特徴として、大切に受け継がれています。
ソースを後からかけなくてもおいしく食べられるよう、生地そのものに味がある。だから、片手でつまみやすく、手も汚れにくいという利点がありました。今のように容器の中でソースとマヨネーズが混ざる食べ方を、誕生当初の標準と考えるのは違うんです。
戦後に濃厚ソースが広まった
現在のたこ焼きの姿が定着した大きな転機は、戦後のソース文化です。濃厚ソースが普及すると、焼き上げたたこ焼きにソースを塗り、青のりや削り節をかける食べ方が一般的になっていったとされています。
当初のたこ焼きは生地の味付けが中心でしたが、ソースをかける方式なら、焼いた後に味を加えられます。香りも見た目もはっきりするため、屋台の軽食として親しまれる姿を思い浮かべやすいでしょう。けれど、ソースが広まったからといって、元の味が消えたわけではありません。
今もソースなし、しょうゆ風味、塩味、だしのうまみを生かしたものなど、食べ方はさまざまです。「大阪のたこ焼き=必ずソース味」と決めつけないことが、歴史を理解する近道。ソースの使い方や味の違いに興味があるなら、たこ焼きソースと代用品の違いも参考になります。
青のりやマヨネーズも後から定番に
ソースに加えて、青のりや削り節が香りを添えるスタイルも広まります。さらに時代が進むと、マヨネーズをかける食べ方が人気になりました。大阪・アメリカ村の「甲賀流」は1974年創業で、網目状のマヨネーズをかけるスタイルで知られています。
ただし、マヨネーズを初めて使った人を誰か一人に決められるほど、はっきりした資料がそろっているわけではありません。歴史の説明では、特定の店が有名にした食べ方と、全国で最初の発明だったかどうかを区別したいところです。
トッピングが増えたことで、たこ焼きは生地やタコの味を楽しむ料理であると同時に、店ごとの個性を楽しむ食べ物にもなりました。元祖のソースなしを古い形、ソースマヨを新しい形として優劣を付ける必要はありません。食べ方が増えたこと自体が、文化の広がりなんですね。
たこ焼きはどう全国に広まった
大阪の屋台で生まれたたこ焼きが、どうして全国で愛される定番になったのでしょうか。時代の流れを見ると、店舗だけでなく、家庭用の道具や食品の登場も大きく関わっています。
屋台のおやつから大阪名物へ
ちょぼ焼きやラヂオ焼きは、もともと駄菓子屋や屋台で親しまれる軽食の流れにありました。焼きたてを少しずつ食べられ、小腹を満たしやすい。そんな気軽さは、タコが入った後のたこ焼きにも受け継がれています。
やがてたこ焼きは大阪各地に広がり、店ごとにだしの味、焼き加減、具材の大きさ、ソースの種類を工夫するようになりました。大阪市の道頓堀などには今もたこ焼き店が並び、観光で訪れる人にとっても大阪らしさを感じられる食べ物になっています。
たこ焼き粉と冷凍食品の普及
たこ焼きを家で作る文化が広がるには、たこ焼き器や専用の粉が役立ちました。家庭で小麦粉から生地を作ることもできますが、専用粉なら配合を考える負担が減り、初めての人でも試しやすくなります。
日本コナモン協会の年表では、1968年ごろに冷凍たこ焼きの生産が始まり、1986年に家庭用たこ焼き粉が発売されたとされています。こうした商品が増えると、屋台へ買いに行かなくても、家庭でたこ焼きを楽しめる場面が広がりました。
さらに専門店のチェーン展開や冷凍食品の充実により、大阪から離れた場所でもたこ焼きに触れやすくなっています。「大阪へ行ったときだけ食べる特別な一皿」から「家でも気軽に楽しめる食べ物」へ。この変化も、たこ焼きの歴史の大きな部分です。
地域によって食感も味も違う
全国に広まる過程で、たこ焼きは一つの形に固定されませんでした。大阪にはだしの風味を生かした柔らかなものがあり、表面をしっかり焼いたものもあります。全国チェーンの築地銀だこは、外側の香ばしい食感を特徴として知られています。
ただし、これをそのまま「関西式は柔らかい、関東式は必ずカリカリ」と分けるのは正確ではありません。全国共通の決まった区分があるわけではなく、焼き方や油の量は店ごとに違います。出身地だけで食感を決めつけない方が、実際のたこ焼きを楽しめるはずです。
名古屋には、しょうゆ味やキャベツ入りのたこ焼きを提供する店もあります。ソースを使わない形が大阪の元祖だけに残ったわけではないんですね。各地で身近な材料や好みに合わせて変化したことが、たこ焼きを全国的な食べ物にした理由の一つだと感じます。
年表で見るたこ焼きの歴史
ここまでの流れを年代順に並べると、何が先で何が後なのかが一目で分かります。とくに1935年と戦後の違いに注目してください。
| 年代 | 出来事 | 歴史上の意味 |
|---|---|---|
| 明治末~大正期 | ちょぼ焼きが親しまれる | 粉もの・型焼き文化の土台 |
| 1925年前後 | ラジオ放送の時代にラヂオ焼きが登場 | 丸い粉ものへつながる |
| 1933年 | 遠藤留吉が大阪でラヂオ焼きの屋台を始める | 会津屋の出発点 |
| 1935年 | タコ入りのたこ焼きを開発 | 現在につながる料理の成立 |
| 戦後 | 濃厚ソースとトッピングが普及 | 現在の定番の姿へ |
| 1968年ごろ | 冷凍たこ焼きの生産が始まる | 家庭や流通への広がり |
| 1974年 | 大阪アメリカ村で甲賀流が創業 | 多様なトッピング文化の一例 |
| 1986年 | 家庭用たこ焼き粉が発売 | 家庭で作りやすくなる |
| 1998年 | 築地銀だこが東京都内に出店 | 専門店の全国的な広がりを象徴 |
これを眺めると、よく知るソース味のたこ焼きだけが唯一の「昔ながらの味」ではないことが分かります。最初に丸い粉ものがあり、タコという具材が加わり、その後に味付けや食べ方の選択肢が増えました。何段階もの変化を経て今の一皿になったわけです。
歴史を知った後の楽しみ方
発祥の話を知ると、今度は実際に違いを確かめたくなりませんか。大阪の老舗に足を運ぶときも、近所でたこ焼きを買うときも、見方を少し変えるだけで楽しみが増えます。
元祖の味はまずそのまま食べる
会津屋のような味付き生地のたこ焼きに出会ったら、まずはソースをかけずに食べてみたいところ。だしやしょうゆの香り、タコのうまみ、生地の柔らかさがどんなふうに感じられるかに注目すると、普段食べるソース味との違いが分かります。
会津屋ではラヂオ焼きも扱っているので、機会があれば食べ比べるのも面白いですよ。同じような丸い形でも、中身がタコか牛肉・こんにゃくかによって印象は変わります。歴史の説明を読むだけでは気づきにくい違いを、食感で確かめられます。
ただし、メニューや販売店舗は変わることがあります。訪れる際は必ず公式サイトで最新情報をご確認ください。元祖という言葉だけを目当てにするのではなく、なぜその味が受け継がれてきたのかを想像しながら食べると、より楽しめると思います。
食べ比べは生地と具材と味付け
たこ焼きの違いを感じるなら、私がおすすめしたい見方は三つです。まず生地。だしが前に出るのか、小麦粉の香ばしさを感じるのか。次に具材。タコの大きさや弾力はもちろん、ねぎ、天かす、こんにゃくなどの組み合わせにも注目です。
最後が味付け。生地自体に味が付いているのか、ソースで仕上げるのか、だしにつけて食べるのか。ここを比べると、大阪のたこ焼き、元祖系のたこ焼き、明石焼それぞれの魅力が見えてきます。
古い味と新しい味に優劣はない
発祥の店や古い作り方を知ると、つい「元祖こそ本物で、今のソース味は別物」と言いたくなるかもしれません。けれど、私はそこまで分けなくてもいいと思っています。食文化は、人が食べ続ける中で少しずつ変化していくものだからです。
ラヂオ焼きにタコを入れたのも工夫ですし、ソースをかけたり、マヨネーズを合わせたり、家庭で焼きやすい粉を作ったりしたのも工夫。新しい食べ方が広まったからこそ、たこ焼きは大阪を越えて親しまれるようになりました。
だからこそ、元祖の味と現在の人気店を対立させず、両方を楽しみたいですね。昔の姿を知り、今の多様さを味わう。それが、たこ焼きの歴史を知る一番おいしい楽しみ方かもしれません。
たこ焼きの発祥に関する疑問
最後に、たこ焼きの起源や名前についてよく聞かれる疑問を、短く答えておきます。年代と料理の違いを押さえると、混乱しにくくなりますよ。
たこ焼きの歴史に関するFAQ
Q1. たこ焼きはどこで発祥したのですか?
A. 現在につながるタコ入りのたこ焼きは、大阪で発祥したとされています。元祖とされる会津屋の遠藤留吉が、1935年にラヂオ焼きを発展させて作ったというのが代表的な説明です。現在の会津屋本店の場所と、最初の屋台の場所は異なります。
Q2. たこ焼きの元祖は誰ですか?
A. 現代のたこ焼きの考案者として広く知られるのは、会津屋初代の遠藤留吉です。ただし、丸い型で小麦粉を焼く料理には先行する歴史があります。すべての粉もの料理を一人で発明した、という意味ではありません。
Q3. ラヂオ焼きにタコは入っていますか?
A. たこ焼きの前身とされるラヂオ焼きは、肉やこんにゃくなどを使った料理です。タコが主役になったことが、たこ焼き成立の大きな変化でした。現在販売される復刻品の具材は、店舗の商品説明を確認してください。
Q4. たこ焼きと明石焼は同じ料理ですか?
A. 同じではありません。明石焼は兵庫県明石市の郷土料理で、地元では玉子焼と呼ばれます。卵の多い柔らかな生地をだしにつけて食べるのが特徴です。たこ焼きにタコを入れる発想へ影響した近縁料理として語られます。
Q5. たこ焼きは最初からソース味でしたか?
A. いいえ。元祖とされる会津屋は、生地に味を付けてソースをかけずに食べるスタイルを受け継いでいます。戦後に濃厚ソースが広まる中で、ソースや青のり、削り節などを使う現在の定番の食べ方が普及しました。
たこ焼きの発祥と歴史まとめ
たこ焼きの発祥地は大阪。現代につながるタコ入りのたこ焼きは、1935年に会津屋の遠藤留吉が生み出したとされています。しかし、その前には、ちょぼ焼きやラヂオ焼きがありました。さらに明石焼という近縁料理の存在も、タコを使う発想を知るうえで欠かせません。
- 発祥地:大阪。現在の元祖店所在地と最初の屋台の場所は別
- 誕生年:タコ入りのたこ焼きは1935年が代表的な説
- 直接の前身:肉やこんにゃくを入れたラヂオ焼き
- さらに古いルーツ:ちょぼ焼きなどの粉もの・型焼き文化
- 明石との関係:明石焼は影響を与えたとされる近縁の別料理
- 味の変化:当初はソースなし。戦後に濃厚ソースの食べ方が広まった
一つの料理の歴史に、大阪の屋台文化と明石の食文化、さらに戦後の食生活までつながっているのは面白いですね。次にたこ焼きを食べるときは、ソースの下にある生地とタコにも注目してみてください。いつもの味が、少し新鮮に感じられるかもしれません。




